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豊かさとは何か?

先日、ISSEY MIYAKEから出てる深澤直人の時計が可愛くて、買おうかどうか10分ほど悩んだけど、結局金銭的な問題で諦めた。

つくづく、俺って心の貧しい人間だなぁと思った。

物質的・精神的を問わず豊かさの尺度というのは、極めて主観的な概念だ。しかし、それでも何かしら人間に共通の尺度をもとめるならば、豊かさの本質は「非合理性」であると思う。


非合理性というのは、客観的にみて自分にとってデメリットである行為を、それと知りながら頓着せずに実行することだ。

老人に席をゆずったり、困っている人の為に遠回りしてでも道を教えてやる、そんな親切も経済的には非効率的な行動だ。だからこそ、その行動を損得勘定抜きに行える余裕が、心の豊かさなのだと思う。

こういうことを言うと、善行は必ず自分に帰ってくるだとか、感謝されると嬉しいじゃないか、とか言い出す人がいる。

しかしそういう人は、その考え自体が非金銭的とはいえ対価、報酬を期待しているということに気が付いていない。感謝という対価を得る為に行動している時点で、それは利己的な行動だ。善行ではあるかもしれないが、それもまた心の貧しい振る舞いだと思う。真に利他的、非合理的な善行は感謝という対価を必要としない。

もう一つの誤った心の豊かさは、自分の非合理的な行動を正しく理解できないままに行っている善行だ。

これは相手に対して時間を費やすという贅沢が、自分の将来の資産や、学習経験、キャリアなどを代償としていることに、まったく気が付かないままに非経済的行動をとることだ。

このようなタイプの自己犠牲は、未来の自分から豊かさを借金して、現在の自分が豊かになったように錯覚をしているだけだと思う。なぜなら、結局のところ他人の為に自分のリソースを費やしたことが、将来の自分の足をひっぱり、結果的に未来の自分を貧しくするからだ。性質の悪いことにこのタイプの人は、自分の善行を振りかざして、他人の心の貧しさを批判することが多い。

このロジックでいくと、結局のところ真に利他的な心の豊かさを得るには、多少の利他的行動では揺るがないほどの生活基盤を持つ必要がある。貧乏暇なしどころか、心の余裕すらない。自分の知る限り、貧しくても幸せですとはかなり幻想だ(短期的に幸せですならありえる)。

で、冒頭の時計が購入できなかった自分の、どこが貧しかったのか?

購入するお金をもっていないから貧しかったわけではない。

「3万円あったらまずジャケットを買ったほうがいい」

そんな費用対効果を即座に計算してしまったこと。それが心の貧しさなのだ。
金銭的に購入可能な余裕がありながら、精神的な余裕がない。自分の自由意志が、経済観念によって制限されている、その点において自分は心が貧しい。

余談だが、本当の金持ちはロレックスのような直球のブランド品をあまり買わないらしい。 自分の地位を可視化するなんて打算で、服装を選択する必要がないからだ。 どうでもいい石ころや落書きに何十万、何百万のお金をポン出す。材質や製法等の生産コストなどみみっちいことを考える必要がないからだ。本当に欲しいものを手に入れることのほうが、材質が金やダイヤモンドであることよりも重要だからだ。

本当の本当に金持ちのボンボンにあったことがある人なら、彼等が底抜けに気がよくて、お人よしで、よくわらって、よくなく、ドラマに出てくる金持ちとは間逆の存在であることにびっくりしたはずだ。

そうやって考えていくと、いままで自分が豊かだと考えていたもの、貧しいと考えていたものの大半がマスメディアや安っぽいヒューマニズムよって吹き込まれた価値観で、よくよく考えると実は逆の構造を持っているのではないかと思う。

というようなことを考えてみた。
文章力をもうちょっと鍛えたいので長文を書いてみるテスト。こんだけ書いてたった1500字なんだぜ。