悪魔の証明
「悪魔はいるかいないか?」
悪魔の存在を証明することは、悪魔をつれてくればよい。
その一方で、悪魔が「存在しない」ことを証明することはできない。見つからなくても、探しきれていない可能性を否定できない。
このことから、「悪魔の証明」は実証不能なことに対する無茶な要求の代名詞として使われる。
ただ個人的に疑問に思っていることとして、「悪魔の証明」を「真」と「偽」の二元論で判断してしまってよいものなのか、という疑問がある。
真か偽かが証明不可能な状況では、過去の類似事例で真が観測されたケースと、偽が観測されたケースの出現頻度を比較し、確率的に判断すべきなのではないかと思う。
この場合、ある命題の真偽は証明できないが、過去の事例から「真でない」事例がほぼ100%であるため、確率上は偽であることを前提で議論を行って問題ないといった結論でいいんじゃないかなと思う。
例えば来世や地獄は、地獄から帰ってきた人や前世の記憶をもってると主張する人が極小であるかぎり、証明ができようがきなかろうが「ない」と判断して生活に支障はない。
ということを思った。