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才能とか天才って言葉は嫌い

なんか、はてな界隈で天才論が流行ってるので、ちょっと乗ってみる。

天才とか才能っていうのは、個人的には好きなことばじゃないんだけど、そんなにコンプレックスを抱いたり、脅威や畏敬の念を感じなきゃならないもんなのかな、ってのを昔から思ってる。

社会的なスケールで見た場合、天才はパラダイム破壊のリスク因子だから全員殺しとけっていうのはわかる。でも個人スケールでみたら、単にカタログスペックが高い人間ってだけじゃないのかなと思う。

そもそも記憶力がよいとか、計算ができるとか、一昔前の天才の条件なんて、インターネットとか電卓でいくらでも代替できるわけで。サヴァンな人の超視覚記憶とかだって、頭にビデオカメラつけりゃ代替できるっしょ。20世紀になって意思決定や、発想、芸術面みたいな数値化できない本当に一部の抽象的能力以外は順調に価値が下落してると思う。それすら価値の下落は時間の問題。 そして抽象的な知的能力の部分はもって生まれた才能以上に、後天的な要素である経験のほうがモノを言う。だから別に才能なんて、あまり重要じゃないんじゃないかなと思う。

才能が無いことをうらむぐらいなら、環境が無いことや、教育者、指導者がろくでもないことをどうにかするほうがよっぽど意味があるような気がする。

脚力に対する自動車だったり。体格がないことに対する格闘技、一部の天才への力と富の集中を防ぐ為の民主主義…と、プロテイン、ブレーンストーミング、科学トレーニング、古来人間の文明というのはいかに凡人の能力を底上げするかって方向に進歩している。5世紀とか10世紀に生まれたんならともかく、20世紀に生まれたんだったら、才能はそこまで重要なファクタじゃないんじゃなかなと。

そんなものより研鑽と学習リソース管理と工夫と、ポジショニング、先人の経験値とノウハウの引継ぎ、そして最重要なのはリスクに対して多様性のある手札の確保なんじゃないかなと思う。絶対音感とかナチュラルボーンの天才は何人か見たことあるけど、訓練も経験も積んでない天才、楽器の弾けない絶対音感者とかかなり意味ない存在だったりする。

ちなみにもし天才相手に張り合わなきゃいけないシチュエーションになったら、

じゃあみんなで1人づつ意見だして、それから多数決で決めましょうか?

っていえば大抵の場合、天才は抹殺できるんだぜ。直接民主主義の本質は一握りの優秀な人間の能力に足枷をつけて、天才を凡人と同じユニット単位に還元しちゃう、対天才用の人類最大の発明なわけで。政治力の天才以外と戦うときにはマジオススメ。

そんなわけで、コンプレックスとかあまり抱く必要ないんじゃないかなぁと。まぁ、経験と才能と訓練を全部あわせもった天才とかが立ちはだかったときはともかくとして。

<追記>
肝心なこと書き忘れてたので追記。
で、なんでそんなに「天才」って言葉が嫌いかっていうと、天才と才能って言葉は、「他人ができて自分ができないことを」無条件、無批判で説明付けするためのいいわけ装置だからです。