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スマホUI考(番外編) なぜ機能追加をし続けるとアプリが破綻するのか?



この写真は、アーミーナイフの名門ウェンガー社のジャイアントナイフという最高級ナイフである。141の機能を持つ、ギネス認定もされた厚さ24cm、重量1.3kgの世界で最も高機能なナイフだ。トップメーカーが自社製品の全機能を1つに集約したこの製品こそが、機能拡張の行き着く先を指し示している。

なぜ適切な機能追加であっても、機能を追加しつづけることで破綻をするのか?本エントリは、「スマホUI考(番外編) 顧客やユーザーの要望に全て対応すると、アプリは99%破綻する」の続きになる。



本エントリでは以下の4つの側面から、機能を追加するリスクを考える。まず第一に「選択肢の数が必ずしも善ではないこと」。次に「人間の判断力は使うほど消耗すること」。そして「画面スペースが有限のリソースであること」。最後に「どんなに機能を増やしても、一画面で強調できるものは限られていること」。これらの4つは全て、機能追加が最終的にもたらす破綻の原因となる。



過剰な自由度と選択肢は逆効果

「選択肢の多さがユーザーにどう影響を与えるか?」について、ジャム理論という有名な実験がある(論文PDF)。

スーパーに24種類のジャムと6種類のジャムをそれぞれ陳列し、購買行動の変化を調べるというものだ。24種類のジャムを陳列したブースでは、60%が試食し3%が購入した。 いっぽうで6種類のブースでは40%の人間が試食をし30%が購入をしたという。つまり選択肢の数を1/4に減らしたら、売り上げが10倍になったのである。

実験が明らかにしたことは「選択肢が多すぎる場合、人間は選択を放棄する」ということである。この原因は複合的なものだが、大きく3つの原因がある。すなわち「人間の一度に処理できる選択肢には上限があること」、「数が増えるほど、評価基準をつくりにくくなること」「選ばなかった選択肢が増えるほどストレスが増加すること」だ。

大量のボタン、柔軟すぎるオプション、過剰な設定画面。無数の選択肢はプロやヘビーユーザーには必要かもしれない。しかし一般ユーザーからすれば、その大半は意思決定を妨げるノイズ以外のなにものでもないのである。

ジャムの法則、あるいは意思決定のコストに興味のある方は、研究者本人の著書「選択の科学」を、おすすめする。




意思決定は有限のリソースである
最近の研究によれば、人間の判断力は筋肉と同じように、使うほど消耗していく。(Decision Fatigue)

つまり、アプリ内の様々な場所で意思決定をせまるということは、それだけでユーザーにストレスを与える可能性が高くなる。「その機能をつかわなければいいじゃないか」という人もいるが、「使わない」という判断をすること自体が、ユーザーに負担をかけてしまう。

このため、1画面内でのユーザーの意思決定が増えるほど、そのアプリは使いにくいものになっていく。また判断力が消耗しているほど、ユーザーは行動することが面倒になり、複雑な作業を放棄するようになる。



画面スペースは資源であり、保険である
機能追加は基本的に非可逆的である。

なぜならば中途半端な機能であっても、一度つけてしまえば、その機能を使うユーザーが生まれるからである。このため、一度つけた機能を外そうとした場合、ユーザー数に比例した苦情を受け取ることになる。一般的にほとんどの意思決定者は、リスクを負ってまで機能を取り外すことができない。よって機能はつねに増加し続ける。

一方でスマートフォンの画面面積は非常に小さい。「指で押さなければならい」というタッチスクリーンでは、小さすぎるボタンは機能しない。

このためスマホアプリの設計では、「各要素にどう画面スペースを配分するか」が最大の課題となる。例えば、iPhoneの場合、バーやテーブルに5つ以上のボタンを並べることは物理的に難しい。

機能の追加は、利便性と引き換えに「画面スペース」「将来の拡張性」「一覧性」を消費する。このため、重要度の低い機能が追加された場合、メリットよりデメリットが多くなりアプリの品質はトータルではマイナスになる。画面スペースは資金のようなものである。余裕があるからと無駄に消費すると、本当に必要なときに何もできないということになりかねない。

写真はMS-Wordの全ツールバーを展開したもの。とても高機能であるが、編集スペースは3行しかない。次期バージョンアップでバーを3つ追加したら編集画面できなくなる。(@IT, 「使える、使いやすい、使いたい」 と思えるUIとは?)より




ユーザーは再学習が嫌い
利便性と引き換えに学習が発生する場合、ユーザーはその革新そのものを放棄することも多い。

QWERTYのキーボードや車の運転方法などがよい例で、これらに新しいインターフェースを普及させることは非常に難しい。なぜなら新しいインターフェースの学習にそれなりに手間がかかるので、多少利便性があがった程度では、再学習をしたり経験をリセットするリスクを負いたがらないのだ。再学習は非常に大きなコストだからである。

このためユーザーは、たとえ適正なアップデートであっても、ボタンや画面の再レイアウトを非常に嫌う。ましてや、無計画な機能拡張により強制的にレイアウトの再学習が必要になった場合、ユーザーは再学習してくれるよりも、アプリを投げ捨てる可能性のほうが高い。



全てを主役にすることはできない

機能や画面要素がゴチャゴチャしたときの対策で、もっと安易で危険な解決法が「◯◯をもっと目立たせて欲しい」だろう。

インターフェースや視認性に対する最大の誤解は、「目立たせれば見やすくなる」というものだが、これは大きな間違いである。目立つというのは相対的なものであって、全てを目立たせることはできない。「Aを目立たせる」ということは「A以外のものを(相対的に)目立たなくする」ということにすぎない。

重要度が相対的なものである以上、機能やボタンが増えれば増えるほど、個々の主張は薄まってしまう。その一方で目立たせるという行為は視認性を消費する。このため全てを目立たせようとしても、要素同士の優先順位はそのままにアプリ全体の視認性が低下する。機能追加による視認性の低下を、目立たせることで解決しようとした場合、どこに行き着くのだろうか。それは点滅する大量のアニメGIFを飾り付けた90年代WEBサイトである。


FourSquareの画面。1〜3個のものだけを強調してはじめて意味が出る。全てを公平に目立たせることはできない。



まとめ
本エントリでは、複数の視点から機能追加がアプリを破壊する理由を考察してきた。

増え続ける自由度と選択肢の数は、利便性よりもむしろユーザーの意思決定を保留させ、精神を消耗させる。また追加されるボタン達は、限られた画面スペースを使い尽くし、将来のアップデートを不可能にする。そして画面要素の増加は同時に、画面内の優先順位づけを不可能にし、全てを混ぜん一体にしてしまう。そして一度追加された機能は、そう簡単にはとりはずせない。つまり機能拡張が限界を迎えたとき、アプリに残される道は転がり落ちるだけになるのである。

スマホの設計は、「旅行時に家(PCアプリ)の中の何をスーツケース(スマホアプリ)にパッキングするか?」というイメージに近い。

理屈としては、家にある全てのものを旅行に持って行けたらば便利なことこの上ない。しかし実際問題として、スーツケースに詰められるものは限られている。アレもコレもと詰め込んだスーツケースは、重すぎて逆に旅行の足かせになる。利便性のために詰め込んだ荷物が、逆に利便性を阻害しはじめるのである。

アプリにおいても旅行においても、真に重要なのは「何を詰め込むか?」ではなく、「何を詰め込まなくても大丈夫か?」である。スーツケースと違いスマホアプリは視覚的、体感的に肥大化を把握できない。このため知らず知らずのうちにモノを詰め込みすぎ、気がついたときには全てが破綻してしまうのである。

というわけで、今回は機能追加がアプリを破壊する原因をつきつめてみた。では、この問題にどう対処するのか。これについては、またもページが長くなりすぎるため次回に続く。



家にある全てのものをスーツケースに詰めて旅行して意味があるだろうか。アプリも同じである。

インタフェースデザインの心理学 ―ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針