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豊かさとは何か?

先日、ISSEY MIYAKEから出てる深澤直人の時計が可愛くて、買おうかどうか10分ほど悩んだけど、結局金銭的な問題で諦めた。

つくづく、俺って心の貧しい人間だなぁと思った。

物質的・精神的を問わず豊かさの尺度というのは、極めて主観的な概念だ。しかし、それでも何かしら人間に共通の尺度をもとめるならば、豊かさの本質は「非合理性」であると思う。

うみねこのなく頃に、をちょっくら考察してみた

綾辻の館シリーズを連続で読破した、空前のミステリブームの勢いで、面白いと評判の「うみねこのなく頃に」を週末に読んでみた。

確かに、これはかなり面白げだわ。

回答編がでるのも大分先だろうし、二部が出る前に自分なりに色々推理をしてみた。自己採点では7~8割ぐらいは当たってる気がするんだけどな、どうだろう。

以下、物語の内容にかかわるので、これから読む人は見ないほうがいいかと。

車輪を再発明するって本当はすごくね?

自分に対するポリシーにすぎないけど、デコンパイラを使ったら負けかなと思ってる。
Flashコンテンツでスゴイ動きや処理に出会っても、それをデコンパイルしてどうやってるか中身を見ることにどうも抵抗感を感じてしまう。

確かに他人が開発ノウハウをリバースコンパイルで覗くというのは、戦略レベルでみれば非常に効率のよい学習方法ではある。
でも戦術レベルで見た場合、それは自分では実装することができない、あるいは現実的な時間・コストで実装可能にするアイデアを思いつく能力がないということを、自ら証明することに他ならない。
自分的にはこれすなわち敗北。

単に職業コーダーとして生きる分には、ぶっちゃけイノベーションなんて必要ない。定番パターンを幅広くコピーして実装できる能力があればいい。リバコンはその為にはやらない方が馬鹿ってぐらい便利な学習手法だと思う。

でもこのやり方は、自分で0から概念を構築する能力を著しく削り取るような気がする。もし見たことないモノ、やったことないことにを切り開こうとするならば、どんなモノでも0から自力で思いつける能力ってのは重要なんじゃないかなと。

よく「車輪を再発明する」ってのは無駄の代名詞として使われるけれど、自力で車輪を発明できる能力ってのは本当はとても価値があることだと思う。

ニコニコ・ようつべとJASRACの契約ってJASRAC不利じゃね

ニコニコ動画とYouTube、JASRACに著作権料支払いへ

これは幾つかの条件を満たせば、ニコニコとYouTubeが圧倒的な勝利状態になるんじゃないかな??
まだ契約内容がしっかりしないとわからないけど、もしこの著作権料でユーザーが自由に楽曲を使えるという話になるとスゴイことになると思う(多分、カバーOKというあたりに落ち着くだろうけど)。

この契約はJASRACが不利じゃないか?

正直現在のJASRACの料金モデルってのは、膨大なデータベースと検索エンジンと配信システムを持ってる奴らが無料で音楽を垂れ流したらどうなるのか?ってのをあまり考慮できてないシステムなきがするですよ。

例えば、邦楽全曲うpされて好きな曲集めてプレイリスト作って延々と垂れ流すことできるぜ!!とかやられて、それは収入の2%やら2.8%やらで見合うのだろうか?<追記>これは隣接権にかかわるか</追記>。あるいはニコニコ職人が、毎週のようにオリコンヒッチャート上位曲を、アーティスト本人より上手く歌う遊びとか、「○○のアルバム全曲カバーしてみた」みたいな遊びが流行ったときにどうなるのかとか。

通常のCDを1枚売って3000円とは異なり、ニコニコのモデルは1コンテンツを数千人に垂れ流してやっと1枚アフィリエイトで50円、見放題で月額500円みたいな、コンテンツを究極的に薄利多売するモデルになってる。 ニコニコの正式な総合の売り上げしらないけどアフィで仮に年4億いっても、2%で800万円ぐらいだべ。どんなに好意的に見ても、会員費や広告含めてJASRACの取り分て総額2000万いかないんじゃないかな?

その上ドワンゴの商品はニコニコにアフィリエイトでリンクしてる扱いにできれば、ドワンゴの正規の収入の5%がアフィとして、ニコニコの売り上げになってその5%がJASRACに流れるからされに減らせそう(この文脈でそんなショボイ稼ぎはしないと思うけど)。

結構条件しだいでは使われる量にくらべて、全然お金はいらずJASRACと音楽業界は足元をすくわれることになりそう。

ユーザー側の懸念点
あと個人的にちょっと心配なのは、ニコニコとようつべがクリエイターにとってのコピーライト・ヘイブンとして、コンテンツの囲い込みすぎてしまうのではないかということ。

ニコニコでJASRAC曲使った作品を発表するということは、そのままその作品をニコニコの外では流通させることが極端に難しくなるということになる。例えば自分の作ったモノなのに個人サイトに乗せられないとか、配布できないとか。

結果としてブログやホムペは作品発表の場として衰退するし、作品はニコニコやようつべに集中する。そうすれば作られる作品のタイプも、ニコニコやようつべのユーザーの好みに特化した方向に進化する。つまり、ものづくりから多様性が失われる危険が出てくる。

まぁ、ここら辺は最終的には不可避な流れとしてしょうがないとは思うのだけど、発表の場が一極集中しすぎるのはリスクコントロール的にちょっといやかなと。ニコニコは好きだけど多様性はもっと好き。

なんにしろ、もうしばらくウォッチが欠かせなくなりそう。
そんな雑感。思いつくままに適当に書いた。

とりあえず、俺お金に詳しくないので、突っ込みどころ色々あると思うので、もっとちゃんとお金計算できる人おしえてくだちい。

教科書にのらないSEO

比較的カジュアルな雑感だった「SEOとかXHTML準拠とかって宗教なんじゃないの?」に、f-shinさんからちょっとまじめなトラバを頂いたので、僕のほうもまじめなレスを。

コメントが書けないのは、スパム攻勢でhetemlさんにcoment.cgiを止められちゃったからです。申し訳ないです。

■SEO != ページランク
ご指摘の通り、SEO = ページランクというのは正しくないと思います。あくまでページランクは総合的なスコアを予測するための目安にすぎないと思います。amaznodeもfladdictトップもページランクでは上位ですが、検索上位ではありません。 

ただ、これはページランクに意味がないというよりは、amaznodeもfladdictもランク8ですが、検索上位に出すための工夫をほどこしていない為に上にでないのだと思います。 Flash入ってないからインストールしろ程度の文言しかテキストありませんし。

自分としてはページランクというのは「キーワードのオプティマイズを行った場合に、ほぼ高確率で上位表示を可能なサイトであるという指針」だと認識してます。

僕の経験から言うとランク6以上のサイトは

・H1とTitleにまじめにキーワードを仕込む。
・該当ページがはてブ(100件以上)か2chで話題になる。

この2点の条件を満たせば、新聞社やC-NETクラスで話題になるワードや、一般的な名詞を除外すれば1ページ目は高確率で確定するレベルと判断できます。「地主制度」、「as3」「はてぶ衆愚」「mixi 追跡

voo-doo-dollsと萌え

比較的鳴かず飛ばずで、もうなんか悲しくなってきたvoo-doo-dolls
voo-doo-dolls.comをラウンチしたとき、fladdictは萌え方面に進出すの!?というような疑問を持つ人が多くて面白かったのでその辺の雑感。

結論からいうと予想外にvoo-doo-dollsはかなり積極的なアンチ萌えコンテンツでした。

もともと、voo-doo-dollはキモサンタから始まった、Flashによるキャラクターエンジンの集大成として作られました。

で開発当初に友達数人で行われたvoo-doo-dolls企画会議で、全開一致の意見として「voo-doo-dollsのキャラクターデザインは萌えよりも女子高生や小学生にウケるものにすべきだ」、というのがありました。
一応萌えコンテンツの作成にも使えるけど、本家はあくまで萌えコンテンツには行かないというコンセプト。

つまり、女子高生とか萌えをキモイと思うような層からカワイイと思われつつ、萌えコンテンツ系のユーザーからもアリと思える微妙なラインを探るというのがキャラデザのテーマだったりしました。

でキャラデザの課題は「萌えキャラクターから性的なコードを削除していくと、どのようなモノがのこるのか?」という模索に。なんつーか美大生の課題チックなノリです。

第一世代のはてなちゃん、第二世代の魔理沙とアリス、未公開の第三世代とバージョンアップするにつれて、ここら辺の実験は先鋭化してきて、以下のようなガイドラインが生まれていった感じ。

・ボディ素体は女性ボディを幼女化させるのではなく完全中性ベース(第一世代)。
・性的アピールとなる瞳や唇の光沢表現の禁止(第一世代)。
・人間としての表情を消す為に白目を削除(第一世代)。
・プニプニした幼児的な肉感の禁止(第二世代)。
・肉の質感を消す為の、エッジの利いたポリゴン的表現を採用(第二世代)。
・性的示唆を与えるグロスを消す為に、全身にプラスチック・メタル系の光沢表現の追加(第三世代)

最終的に、萌えのエキスパートな友人に見せて、全開一致で「カワイイけど萌えじゃない」とか「カワイイけど萌えオタに受けるには媚が足りない」とかいうコメントをゲット。同じガイドラインの動物系キャラも女性陣にウケがよかったので、キャラコンセプト的にはそこそこ成功なのかなと。

voo-doo-dolls自体は大失敗でしたが・・・
そんな感じ。ここら辺のリサーチで無意味に萌えに詳しくなりました。

AdobeのオンラインPhotoshopの狙うもの

CNet: アドビ、「Photoshop」をウェブアプリ化へ–無償版として提供予定

なんか騒がれている文脈が微妙に間違っているような気がする・・・
思うに「単にAdobeが流行のWebアプリケーションに進出した」という見方をするべきではないのではないか。

数年前からのMacromediaの買収、一覧のFlashのオープンソース化、Apollo計画、Eclipseへの参入、JSフレームワークの公開、Mozillaへのソース寄贈などの全ての動きを踏まえて、包括的に見るもんじゃないかなと。

おそらくこのオンラインフォトショップは、Apollo普及の布石であって、Flex2というよりはApolloで実装される可能性が高い(あるいは将来的にそうなる)のではないだろうか?

ちなみにApolloいうのは、アドビが発表した次世代プラットフォーム構想のこと。

日本ではショックマシーン2号的な認識でスルーされていて、不憫な感のするアドビの新プラットフォームApllo。ただ実際にはこれはランチャーというよりも、PDF, Js, Flash, HTMLを統合したウィジェットとブラウザの融合した、完全クロスプラットフォームの新しいアプリケーションレイヤーだと思う(この完全オンラインでないという点でPicasa的という表現だったのではないか?)。

このApollo配布の起爆剤として、アドビはフォトショップ無料版をApollo用のアプリとして配布するのではないだろうか? つまりオンラインのPhotoshopは、Apolloのお披露目であり、Apolloを使えばこれだけのオンラインアプリが開発できる!というデモンストレーションではないのかと。Apolloが年内という次期上、初期版は通常のウェブアプリかもしれないが、早期の段階でApolloへとプラットフォームを移行するのではないか?

というか俺がAdobeの偉い人だったら絶対そうする。

ApolloがFlashPlayer並に普及をした場合、プラットフォームベンダーであるアドビが最初から物凄いApolloアプリ開発ノウハウを行使して、怒涛のサービス発表していったばあい、ひょっとするとひょっとして色々下克上な展開が起こりえるのかもしれない。

iPhoneは携帯でも音楽プレイヤーでもないし、Appleは家電屋じゃあない

Life is Beautifulの人が出した、「アップルはいったい全体、なんでiPhoneを使って直接iTune Music Storeから購入できるようにしなかったのだろうか?」という謎々が面白かったので考えて見るテスト。

iPhoneを見たとき奇妙に思ったのが、なぜ全画面タッチスクリーンなのか?ということだった。

・携帯電話にフラットタッチスクリーンをのせるなんて、アフォな工業デザイナーはいない。
・Appleは、用途の為に特化したミニマルなUIをデザインする。

携帯をデザイン使用するデザイナーならば、タッチスクリーンはまず最初に却下するアイデアだと思う。なぜならば、それはメールにしろ電話をかけるにしろ、手元で感触を感じることが必須のデバイスでは戦力外のUIだからだ。
だからこそ、「タッチスクリーンは何のためにあるのか?なぜあえて選択をしたのか?」というのが、iPhoneを見極めるポイントではないかと考えた。

で結論としては、「iPhoneは携帯でも音楽プレイヤーでもない」という考えに帰結した。

タッチスクリーンという仕組みの本質は大画面の手段でも、カッコよさでもない。むしろUIとしては不便な部類に属するデバイスである。その唯一の利点は、あらゆるタイプのインターフェースを、1つのデバイスで実現できるということだ。

逆を言えば、iPhoneにマルチタッチスクリーンが搭載されているということは、iPhoneはあらゆるタイプのUIを表示する必要があるデバイスであるということではないか。

つまり、テレビをつければ、iPhoneでチャンネルを選択し録画設定を行う、ステレオで音楽を再生する場合もiPhoneに選曲UIがといった具合に、家庭内のあらゆるデバイスにアクセスするとき、iPhoneにそのデバイスを制御するUIが表示される。だからこそ、マルチタッチスクリーンなどといったものが必要なのではないだろうかと考えた。

僕のAppleに対する認識は2年前に書いた「アップルの本質は「あちら側」ではないのか?」から、基本的に変化していない。

コンピューターやブラウザという「入り口」を押さえたマイクロソフト、ブラウザから向こう側への道に情報の「関所」を作ったグーグル。

この2社に対抗すべくAppleが選択した手段が、OSやブラウザ、インターネットを介さないあちら側への「直通バイパス」の確保ではないか?という仮説だ。iPod, iTune, airMac, Apple TV, iPhone, 全てのアップル社のプロダクトは、この文脈においてまったくブレもなく同一線上にならんでいるように思える。名前からコンピューターを取ったのもそうだろう。MacTVではなく、AppleTVという名前を選択したのも、もはやMacが中心ではないということなのだろう。

だからWiFi、GSM+EDGE、Bluetoothも通信セントラルとしてのものであり、電話も音楽プレイヤーも、iPhoneにとってはプリセットのウィジェットにすぎない。。単に家庭で最もパーソナライズされたアイテムである携帯電話が、個人個人がそれぞれ所有するUIセントラルの器として選択されたにすぎないのではないかと考える。

そしてiPhoneがクローズドなのも、iPodが競合他社の音楽ストアと連動する気がないのと同様、直通バイパスを確保する為のものなのではないか。

純粋な音楽プレイヤーではないのだからMusic Scoreにつなぐ必用はなく、電話もメールも本質ではないのだから、タッチスクリーンでも問題がない。特化した機能が欲しければ、別個に携帯なりiPodなりを買えということなのだろうと思う。携帯やTVを出すからといって、Appleは家電屋になるわけではないのだろう。

結論として「iPhoneはリモコン」だから、というのが僕なりの答えなんですがどうなんでしょうか。

地主制度2.0追記の2 ハックすべきはWebServiceではなく、Web2.0の構造そのもの

しばらく感じていた「WEB2.0超キモイ」って違和感を、2エントリ(1, 2)にわたって毒を吐いたおかげで、大分スッキリした。

とりあえず、話を進める前に今までのグチを3行でまとめるとこなる。

  • WEB2.0は金銭と同時にデータ資産が上層に吸い取られる構造がある
  • 下流でどんな勝負が展開されようと、上層はとにかく肥える
  • 最上層で行われてるのはデータマイニング等の、不特定多数の無限大の行動を燃料に駆動するイノベーションエンジンの構築合戦がある

オープンを建前にしたWEB2.0祭りの裏側で一番上のプレイヤーが、中途半端な破壊的技術ではとうてい対抗できなさそうな、暴力的な量のデータを蓄積している気配が気に喰わない、という結論。

で、ムカつくのでウェブサービスをハックして遊ぶよりも、WEB2.0の利益構造そのものをメタにハックして、プレイヤー序列をひっくり返したり、無敵安全地帯を構築する遊びのほうが面白そうだ、という落としどころで自分の中に決着を見た。
ところで、なぜこんな中途半端な時勢にエントリを出したかというと、「ウェブ進化論」と「グーグル Google 既存のビジネスを破壊する」を読む前に、自分の中の漠然としたWEB2.0観を整理しておきたかったからだ。恥ずかしながら忙しさにかまけて、両書をよむ時間をとれなかったのだが、ようやっと時間がとれそうになった。 しかし、おそらく両書を読めば、自分の意見は意識的にしろ無意識的にしろ両者に引きずられる形になる。だから、その前に、自分なりに考えたWEB2.0に対する認識をエントリという形で固定化したかった。

んで、WEB2.0のハック所を探すべく、デスノートの裏技検証並に、気合いれて色々考えてみたわけだが、。以下、真面目にいく。

地主制度2.0追記の1 WEB2.0というゲームには隠しルールがあって、それが隠蔽されたまま進行している

先日の地主制度2.0の話、一晩考えて色々追記を書こうとしたら、既に考えてたことが、かなりハテブやトラバで論じられてて書くことがあまりない感じ。

ただ、エントリがグーグル=悪みたいな文脈で認識されてるけど、それはちょっと違う感じデス。

僕はGoogleを悪だとは思っていないし、地主制度も、支配階級も、搾取構造も全然否定しない。というか組織であれ個人であれ、能力と手札とチャンスが均等でない限り、上から下に連なる不平等のレイアウトが生まれるのは、当たり前だと思っている。むしろ、能力と手札とチャンスがマチマチなのに、結果が平等な世界のほうが歪だと思う。ついでに言うならば、自分を駒として見た場合、たぶん僕は盤面が荒れば荒れるほど有利になるタイプのプレイヤーだ。だからGoogleやAmazonが既存勢力を破壊するのは大歓迎な側にいる。

で、僕が気持ち悪いと思ってるのは、WEB2.0というのが下から上に吸い上げられる強烈な搾取構造を根底に持っていながらも、「これこそ僕らが待っていたインターネットのあるべき姿!!」といった、あたかもユートピア思想的な文脈で語られている、その齟齬だ。

胴元かそこ近い場所から発表されたゲームのルールが、実際のゲーム進行とはまったく違っている感じが超キモイ。