大学の先生とニコニコについて語ったりした
2008 年 5 月 19 日 月曜日大学時代の先生が教授に昇進して、おめでとうございますパーティーに行ってきた。
海外行って行方不明、5年ぶりぐらいに出現した僕はレアキャラ扱い。
先生は、テクノロジで人間の生活がどう変わるか?、みたいな研究をしてる人で、ニコニコ動画の出現でどのような新しいコミュニケーションや表現様式が生まれたか等でちょっと話が盛上がった。僕のネット文化ウォッチャーとしての血は、この研究室の影響だよなぁ絶対。
大学時代の先生が教授に昇進して、おめでとうございますパーティーに行ってきた。
海外行って行方不明、5年ぶりぐらいに出現した僕はレアキャラ扱い。
先生は、テクノロジで人間の生活がどう変わるか?、みたいな研究をしてる人で、ニコニコ動画の出現でどのような新しいコミュニケーションや表現様式が生まれたか等でちょっと話が盛上がった。僕のネット文化ウォッチャーとしての血は、この研究室の影響だよなぁ絶対。
WEB3.0の本質はなにかってのを、昨日ずーっと考えててついに思いついた。
MERUMAGAだ。
いやマジで。
次の最先端はメル☆マガ的なにかじゃないかと。
自分が子供の頃は、TVなりファミコンなり漫画なりそういうメディアは自分の家でパーソナルに視聴し、学校で会話によって共有体験に変換していた。
インターネットや携帯によって、メディアはよりリアルタイムに共有するものにかわってきたなぁと。
個人で視聴するメディアは、その視聴を維持する為にスタンドアローン面白さが前提となったわけだけど、リアルタイムに共有することが全体のメディアは、コンテンツそのものが高品質だったり面白い必要はないんだなぁと。そんなことを再認識したしだい。
やはり求められるのは、コミュニケーションのブースターとしてのコンテンツなんだろうかね。
RPGなんぞその最たるもので、レベル上げ等の苦行に見合うメリットがない。昔はアレアイテムとかとったら盛ってるだけで結構ヒーローだったのに、今じゃネットに一覧表あるしこなし作業だしなぁ。純粋にストーリー楽しむなら漫画や本のほうがコストが低いし、インタラクティブ性ならネットで他人と戯れるほうが楽しいし。
当たり前といえば当たり前だけど、色々調べたり実験したりしてみたところ、予想以上にクリティカルっぽい感じなのでメモ。
ナビゲーションを英単語にした場合、たとえそれが平易な英単語でも、小学生・中学低学年を全滅させる。ジェネレータやお手軽投稿系、モバイル投稿系は、ここで既に大ダメージをうけるっぽい。バズりたい場合には、英語をつかうなということか。やっぱりこういうものは突き詰めると、ヨーゼフ・ゲッベルスだなぁ。
ということは、逆に英単語や専門語の量をコントロールすることで、ユーザー層のリテラシーや職業、年齢層等をある程度コントロールできるのかもしれんのかな。
むかし、個人情報流出はもはやリテラシーの問題ではなく、確率上のリスクになるっていうようなことを書いたことがあったけど、まさにそんな感じの事件が発生しちゃったみたい。
Amazonの新サービス「ほしい物リスト」は、メアドか本名からその人の欲しいものを検索できるのですが、メアドから本名がわかっちゃうミスがあり大炎上中らしい。
すんごい有名人がバイブとか買ってたりとかが普通に大公開・・・ また匿名でネットでブイブイいってた人々の結構な人が本名バレ、Mixi経由で個人特定される事態に発展中らしい。
日本未曾有の個人情報ハザード。
ウィッシュリストを公開してる人は自分のをチェックしとかないとカナリやばいので要注意。
っていうか、情報の大半がネットに移行して、しかもそれが他人のウッカリで流出する状況だと身の守りようがないよね。
追記
これお届け先登録してあれば、その人のほしいものリストから商品をカートに入れると
あて先を登録した住所にできて、購入の最終確認までいけば住所確認できるぞ。
ESL Podcast紹介エントリのネタバレ。
まず一週間かけて、以下のネタを仕込む。
・Twitterの英語アカウントをとる。
・Visualizing Dataとか、Collective Intelligance とか先端の良洋書を紹介する
・世界恐慌とかグローバル視点からの日本不況とかのエントリを書く。
・海外での同業者の平均給与や、求人伸び率について語る。
・既存のパラダイムを否定して、海外で進行中の新しい時代の到来を語る。
で、問題意識に対して参入障壁の小さいとっかかりを提示する。
500ぐらいを予想してたら1300超えてビビる。
1つ1つは独立したまっとうなエントリなのに、一定の順序で並べると、文脈が相互に作用して1つのテーマを盛り上げる感じのテスト。
漫画デスノートが非常に秀逸だった点は、「相手から情報を得るという行為自体が、相手に情報を与えることに繋がる」という、不確定性原理にもにた間接的な情報の収拾合戦を一貫したテーマにした事だったと思う。で思ったのです。同じ事インターネットでも色々やって遊べるよね。
自分にとって被ブクマ数新記録の1200の大台を達したのでメモ。
以前書いたように9だか10月くらいから、被はてブ率のコントロール実験みたな感じで色々なアプローチで月500はてブ以上をノルマに実験をしていた。京極夏彦が、情報は開示する順番が大事とか言っていた気がしたので、ちょっと実験的に色々仕込んでみたら、試したみたら予想以上の破壊力があってびびった。今回やったことは以下の通り、
・Twitterの英語アカウントをとったことを吹聴する。
・Visualizing Dataとか、Collective Intelligance とか先端技術の良洋書を紹介する
・世界恐慌とかグローバル視点からの日本不況とかのエントリを書く。
・海外での同業者の平均給与や、求人伸び率について語る。
・既存のパラダイムを否定して、海外で進行中の新しい時代の到来を語る。
まで比較的、含蓄はあるけど敷居の高いネタをを1週間かけて仕込み、そこまで準備をしてから満を持して
・誰でも簡単に始められる、自己投資(英語学習)の紹介。
という流れを構築したら、被はてブ数やアクセス数が通常の10倍に跳ね上がった。なるほどなぁ。個々のエントリがそれぞれ独立していても、ある一定の文脈と順序で開示することで、色々なことがブーストできるんだなぁ。
近代デザイン史の研究者であるエイドリアン・フォーティは著書『欲望のオブジェ』の中で、20世紀以降の広告や工業デザインの本質は、それまで存在しなかった不安と不便を意図的に作り出して、その不便を解消する手段として新しいライフスタイルを提案する工業製品を売りつけることであるみたいなこと書いてた記憶がある。そのときは、またまた(笑)とか思ってたわけだけど、こういう結果をみるとあながち間違いじゃない気がしてくる。
さらにこういうアプローチに、choice overloadみたいな研究結果を組み合わせてみた。時間があれば検証できる程度の数の選択し、逆をいえば刹那的には内容を評価できない程度の選択肢を提供すると、判断は棄却されずに一時保留となり、はてブのようなものに登録される確率が高くなるようだ。
そしておよそ350ブクマを超えたあたりから、興味をあまり持っていない層がブクマをはじめるような印象。これは集団心理的な行動なのかな、真贋をみきわめる時間(あるいは能力、興味)が欠如しているけど、重要情報へのアクセスという機会費用を失いたくない。だから大勢の人が興味をもっていることを担保に、とりあえずリスク回避の為にブクマする。そんな層が相当数いるような気がする。このような現象が発生すると、以前も観測されたけどおよそブクマの数が2~3倍に膨れ上がる。またこのレベルに突入すると、他のニュースサイトにも飛び火してトラフィックた飛び上がる。
しかし正直、はてぶ開始いらいfladdict.netの最高はてぶ記録だった「はてなチューブ」が、10分で書いたエントリにあっけなく負けたというのはかなりショック。
そりゃフリーライド系のまとめブログは増えるわ。
ロンドン時代を思い出して最近気が付いたのは、十把一絡げにデザイナってくくられてる人間にもどうやら資本階級と労働階級の純然たる壁があるなってこと。
基本的にナイトや爵位を賜ったデザイナーって、ファッションとプロダクトのデザイナだけなんよね。 グラフィックデザイナーやWebデザイナーは、爵位なんて逆立ちしても与えられない。社交界にも入れない。
おそらくその理由は、ファッションやプロダクトのデザイナってのは、自分達が原型を作り、それの複製を世界に配給する権利を売っている点だと思う。本質的に資本家としての側面を持ってる。
一方でグラフィックデザインなやWebデザイナは、受注労働であり、権利ごと納品する。 つまり本質的には労働者階級にすぎない。 そういう意味でガテン系とかITドカタっていう表現は、かなり本質を突いているのかもしれないね。
そうするとWEBデザイナな人間が社会的な地位を獲得すなり、受注販売体制から脱却する為には、なにかしらの手段を持って資本家的な要素を手に入れる必要がある。その為にはどうすればいいのか?というのが課題だなぁ。
常識で考えれば、Webデザインが特許か版権を握る風潮を作るのが一番近道なことなんじゃないかと。そういうの作らないと、老後迎えられなさそうだよなぁ今後。
最近、ユーザー主導のコンテンツを色々見てて思ったメモ。
いかに高品質でも「独自すぎる」、「突き抜けすぎたコンテンツ」は、一時的に評価されてもマクロにはノイズで終わる可能性が高そう。
どうもネットで当たるか否かには不文律として、「如何に過去のコンテンツの文脈を継承しつつ、新しい文脈を提示てきるか?」というのが重要な要素なんじゃないかと。つきぬけすぎてはいけない、独自すぎてはいけないのかなと。
この「文脈の継承」という要素のないコンテンツはいかに高品質でも短時間に死ぬ印象。
例えばゲームや漫画、アニメなんかは、最近はこの文脈の主軸に「萌え」とか「美少女」ってモノを置いちゃったわけだ。オタ系文化ではこれはメインの文脈として確立された為、「萌え」の要素がないゲームなりアニメなりは相対的に生存競争が不利になっている。
その一方で一般社会を含めたマクロ的に見れば「萌え」の文脈は、所詮はソフト・チャイルド・ポルノの亜種にすぎないので、そっちに先鋭化すればするほどアニメやゲーム産業は最終的に衰退すると思う。
で社会全般での娯楽の主文脈は、「モテ」と「話のタネ」と「自分アピールツール」って感じかな。コミュニケーションのプラットフォームに特化している感じ。
ただ、人間の嗜好の最大公約数が、「魅力的な異性」ってのはまぁ自然の摂理なんだろうけど、共通文脈がそれ一本に収斂されつつある状況ってのは、なんか動物的すぎるっていうか、ウン千年の文明の積み重ねはなんだったの?的な即物感があふれててなんともかんとも。
この「モテ」と「萌え」に如何に唾を吐きかけつつ、イカした何かを提案できるかが、一番アヴァンギャルドというかダダな感じでイカスんだけど、セックス&バイオレンス以外の娯楽って学習コスト高いから中々普及しないよなぁ。
別にだからどうとかじゃなくて、そういうの踏まえて色々考えるのムズイなぁと。
そんなことを思ったメモ。