Entries of 情報デザイン

工業デザインスケッチのビデオ

タッチスクリーンとロールオーバー

タッチスクリーンのUIについて考えるとき、ロールオーバーの存在の有無ってあまり語られてない気がする。

ロールオーバーってのは、それがない環境でコンテンツ作ってから振り返って考えると、
無茶苦茶便利な概念だったのだなぁと思う。

よく「Flashで作ったサイトは、どこがボタンかわからない」という話を聞くけれど、実際問題としてはタッチスクリーンのUI全般では、さらにどこがボタンかわからなくなる傾向があるように思う。まだ問題が表面化していないだけで。

結局のところ タッチスクリーン環境 ではロールオーバーは、ビジュアル要素で慣習(conventions)を作って対処するしかなさそう。もう1つはボタンと入力テキスト部分のみの視覚的な立体表現を徹底することみたい。あるいは、Percieved Affordanceとして、ボタンを点滅させるとか。

将来的には静電気とかを感知して、非接触なロールオーバーもどきがデバイスにも実装されていくんだろうなぁと思うけど、とりあえず現状はこれを受け入れないとならないんだろうな、と。

アプリの設定は、初心者/上級者の2段階モードがいいんじゃないかと思う

iPhoneアプリなり, Airアプリなりを作ってて思ったんだけど、特にiPhoneのような画面の小さい環境では、機能要望の取捨選択がムズかしい。

本来、ウィジェットというのは単機能特化が一番いいんだ思う。 ところが、ユーザーからの機能要望というのは限度がなく、その全てに対応すると、アプリケーションがあっという間にファットになってしまう。

ファットになったアプリは、既存のヘビーユーザーには歓迎される一方で、新規ユーザーにとっては害として働くことが多い。

まず、あれもこれもという多すぎる機能は、「何をすべきなのか」という本来のコンセプトを消し去ってしまい、それそのものの持っていた「体験」を台無しにしてしまう。結果、「何をしたいのか」が明確なユーザー以外には、きわめて使いにくい一品になってしまう。

また学習コストの大幅な増加も問題となる。iPhoneのような設定画面と、ヘルプを並列に見せることが難しい環境ではなおさらだと思う。

ところがジレンマは、初心者ユーザーほど、表示スペック、カタログ上の機能の数を基準に購入する。 UIや機能の切り捨て、という意思決定に対し新規ユーザーがお金を払う可能性は少なく、結果的に販売段階ではアレもコレも全て詰め込んだアプリが売れることとなる。

そして長期的に見た場合、ファットなアプリは初心者を切り捨て、市場を小さくしつつヘビーユーザーだけが生き残る。そしてヘビーユーザーの機能要望に答えることで、さらにニッチなアプリへと破滅的な進化していく。 ここら辺はかつてシューティングや格闘ゲームなんかが通った道だと思う。

そういう先細りに対して、どういう対策を練っていくのか? というのがモバイルアプリの今後の課題になるんじゃないかと。

ゲーム業界等の先人の工夫を見ていると、最も有効なアプローチの1つは、初期起動時にユーザーの機能と権限を制限することのように思える。

購入時、ユーザーのできることは、そのアプリの本質のみに制限する。そしてその後、ユーザーの指向、用途に応じて、複雑な機能を制限解除していく、というのがスマートなのではないかと思う。そういうRPGのレベルアップ的な仕組みが、アプリのUIについてもいいのではないかな?と思う。

メタセコイアとか触ってると、とてもそう思うのデス。

アプリケーションは社会性を獲得できるか?

多分、今ネットでいちばん興味があることがコレ。アプリケーションはユーザーに社会性を付与する装置となることができるか否か?

高級ファッションやプロダクトブランドの多くの商品は、性能と価格が見合っていない。もかかわらず、多くの顧客がそれを購入しビジネスとして成り立っている。 この不思議な現象の最大の理由は、十分に成熟したモノの価値は単純な機能によっては決定されないくなる為である。衣服ならばプライマリな「着る」という機能よりも、「自己満足」や「社会的の付与」というセカンダリの機能が、大きく価値に影響を及ぼすようになっているからだ。

社会性の付与、つまりその商品の所持や使用が、注目や尊敬を集めたり、女の子にモテたり、所持者の社会に対するコミュニケーション力を増幅するのならば、その商品はそれそのものの本質的な機能以上の価値を持つ。

従来コンピューターのアプリケーションには、このような社会性はもとめられてこなかった。それはアプリケーションが純粋に問題解決のツールであり、またもっぱらモニターの中というパーソナルな空間でのみ使用されるツールであった為だ。

しかしiPhoneの出現は、ほんの少しずつではあるが、アプリケーションを公共の場で使用するというシナリオを生み出しつつあるように見える。

もし、そのアプリケーションを所持することが社会的なステータスとして機能し、注目を集め、会話の起点となり、女の子にモテる。そのような段階に入った時、非プロフェッショナルユースのアプリケーション市場においては、機能と価格は比例関係ではなくなる。 Appleは、単なる道具だったコンピューターの所持を、iMacでファッションに昇華することに成功した。ならばアプリケションの所持をファッションとすることは可能なんじゃないのか?

ゆっくりとではあるが、タンジブルビットやホームコンピューティング、ユビキタスといった概念は、この方向にアプリケーションを押し進めて行くのではないかと思う。

こういうパラダイムの変化こそが、iPhoneアプリの115円地獄や、ウェブサービスの無料化地獄を脱する、手段なんじゃないかと思う。あと5年とか10年先のことなんだろうけど。

ツリー構造のUNDOって格好良くね?

昨日からずーっと、既存のものよりもスマートなUndoが作れないか悩み中。

Undoって、push/popのスタック方式というか線形のヒストリだけど、ここってツリー構造のヒストリの前例ってあるのかな?? 基本的に現在いるブランチを前後移動させれば、フロントのUIはそのままで、ヒストリーをツリー構造で記録できると思うのだけど。でブランチに移動したい場合は拡張UIを使う感じ。

元Appleの増井さんが昔、「人生におけるキータイプの回数なんて、大した量じゃないんだから、全てのキータッチをログって保存しとけ」的なことを、言ったとか言わないとか。 ちょうどそんな感覚て、いまのマシンスペックなら全てのヒストリーをツリー構造で保存できるんじゃないかなと。

普通の作業じゃあツリー構造のUndoとか要らないと思うけど、プロトタイピングやデザインの場合、過去の全てのステップを横断的に移動できるってのは、とても価値があることだと思う。 単なるundoの枠を超えて、その人の行った思想と思索の全てを記録できるっていうのかな、保存しておけば資産としてものすごい意味があるデータになるんじゃないのか。

というようなのが、AodbeのIllustratorやOmniGraphに搭載されないかなぁ、と思う今日この頃。

日本の残念なwebを強引にハイブローにするには

小鳥ピヨピヨ:日本のネットが「残念」なのは、ハイブロウな人たちの頑張りが足りないからかも知れない
Tech Mom from Silicon Valley : 梅田氏と「アテネの学堂」

ハイブローなこと喋ると社会的地位が上がったり、
お金がチャリンチャリンするシステム作ればいいんじゃね?

highbrow
教養のある、知的な、インテリの 形
インテリ向けの、知識人向けの 形
インテリぶる、高尚ぶった


日本の国民性とか社会制度、スケールが原因だとか、そういうのも一因だと思うけど、根源的にはシステムの問題だと思うのです。単に日本で実名で長文書くリスクとリターンが見合ってないという。ならば、システム的にリターンが見合うようにすればいいんじゃないの? 理想と現実とか関係ないよ。金がそっちに動く仕組みがないから機能しないだけでしょ。

そういうリターン>コストのシステムなしに、ハイブローとかいうのはまずムリだろうと。ハイブローの人が努力するとか、そういう根性論でどうにかなるもんじゃないと思うんですよ。

よく時代を変えるとかっていうと、逆流にあらがいつつ苛烈なバトルするみたいなイメージがあるけど、力技でバトッて時代を変えるのってコスト的に効率悪くない? むしろ既存の社会システムにちょっと細工して、自分の望む未来が下り坂の向こうにくるようにしてさ、あとは天辺から雪玉大量に転がして、キャッキャウフフと見物するのがいいんじゃないかと。

ハイブロー派がそういうことやってない間に、ローブロー派(おもにアメブロ)は着々とそういう戦略を進めてて、芸能人いっぱい誘致したり、素人がブログで本書いて億万長者にとか、アルファブロガーの囲い込みとかブランド化やってるわけじゃないですか。ああいう、サクセスストーリーをマッチポンプで仕込むみたいな、地道な努力が足りないんじゃないかと。

ハイブローにしたい人々も、アメブロとかAMNの戦略が機能してるんだからそれをパクればいいじゃないかな、と思う今日この頃。3年前だったら、ブログで面白いこと言ってる奴を梅田さんが拾って、色んな社長とか集めた勉強会でなんか喋らせるみたいのをやって、定期的に野の賢人をプロデュースするだけでも、大分面白いことできたと思うんだけどなぁ。

とにかく金と名誉がチャリンチャリンする(ように見える)仕組みと、低レベルな議論フィルターの2つさえ用意できれば、ハイブローな世界なんて簡単に作れると思うんよ。

ネットの善意とかなにそれ食えるの?世の中を効率よく変えるには、金と欲の流れに細工して、みんなが欲得で動いたのに気がついたら世の中良くする方向に誘導されちゃう作戦がいいと思うんだぜ。

<追記>
チャリンチャリンっていうけどアフィリエイトとか小銭じゃなくて、研究資金とか出資とかそういうスケールの話ね。

携帯小説のリアリティとは何か

電車の中で携帯小説を一冊通しで読んでみた。

世の女の子達が、いわゆる浮気セックス妊娠エイズかつ稚拙な文章の、どこにリアリティを感じるのか気になったからだ。
読んだ結論からいうと、どうやら携帯小説にもリアリティというものはある。

大学の先生とニコニコについて語ったりした

大学時代の先生が教授に昇進して、おめでとうございますパーティーに行ってきた。
海外行って行方不明、5年ぶりぐらいに出現した僕はレアキャラ扱い。

先生は、テクノロジで人間の生活がどう変わるか?、みたいな研究をしてる人で、ニコニコ動画の出現でどのような新しいコミュニケーションや表現様式が生まれたか等でちょっと話が盛上がった。僕のネット文化ウォッチャーとしての血は、この研究室の影響だよなぁ絶対。

WEB3.0のとるべきほうこうは

WEB3.0の本質はなにかってのを、昨日ずーっと考えててついに思いついた。

MERUMAGAだ。

いやマジで。
次の最先端はメル☆マガ的なにかじゃないかと。

コミュニケーションのチャンネルが変わってる印象

自分が子供の頃は、TVなりファミコンなり漫画なりそういうメディアは自分の家でパーソナルに視聴し、学校で会話によって共有体験に変換していた。

インターネットや携帯によって、メディアはよりリアルタイムに共有するものにかわってきたなぁと。

個人で視聴するメディアは、その視聴を維持する為にスタンドアローン面白さが前提となったわけだけど、リアルタイムに共有することが全体のメディアは、コンテンツそのものが高品質だったり面白い必要はないんだなぁと。そんなことを再認識したしだい。

やはり求められるのは、コミュニケーションのブースターとしてのコンテンツなんだろうかね。

RPGなんぞその最たるもので、レベル上げ等の苦行に見合うメリットがない。昔はアレアイテムとかとったら盛ってるだけで結構ヒーローだったのに、今じゃネットに一覧表あるしこなし作業だしなぁ。純粋にストーリー楽しむなら漫画や本のほうがコストが低いし、インタラクティブ性ならネットで他人と戯れるほうが楽しいし。